The 広告 #1

 

ワッツア!

 

 

あーあ。

 

旅行どころかドライブも海もいってないし、稲川淳二の怪談ツアーもいってない。そのうえ

唯一のお楽しみであるプールなんて眼医者から禁止。

夏らしいこと何にもしないまま、イマイチ盛り上がらず過ぎ去っていってしまった夏....。

 

はあ ...

 

 

 

 

 

 

さて時は30年前、いまごろの季節の話です。

それこそ

イマイチ盛り上がってない 札幌の高校3年生のDT(童貞)少年が

夏休みが終わったタイミングでフト思い立ち、

美大受験のための美術研究所(いわば予備校だね)に見学のため足を運んだそうな。

 

 

はじめておとずれた美術研究所は

乾きかけの油画のキャンバスが廊下に無造作に立て掛けられていたり、

ギリシャやローマの英雄たちをかたちどった石膏像が整然と並んだ

ちょっと気味の悪い教室があったり、

壁一面に美大受験生たちの優秀なデッサンが貼り出されていたり。

とめずらしいものばかりで、少年は常にキョロキョロ。

 

 

テレピン油と鉛筆の鉛、そして食パン(木炭デッサン時に消しゴムとして使うんです)の匂い。

そんな中、研究所内をあちこち探索していると

「デッサン室」

というものがあって、そしてそれがどうやら2つ存在することに気づいた。

1つめの部屋では、皆がさきほどのギリシャ石膏像木炭でデッサンしている。

もう1つは静物鉛筆でデッサンしている部屋。

テーブルの上にゆったり布が引かれ果物やグラスなどが並べられている、

といったようないかにも古典的な静物画っぽいモチーフ。

 

 

 

 

案内してくれていた講師に

 

「じゃ、ちょっと試しにデッサンでもしていく?」

 

と言われ、一瞬ひるんだ少年。

そう、

その少年こそのちのBDAPことおれ斉藤啓

 

 

 

 

以下、文字通り自画自賛ですが

正直いって、図画・工作・美術全般では幼少の頃からちょっとしたモンだったんです、おれ。

校内の写生コンテストでは毎回金賞あたりまえ、

ただし、ちょっと前衛的な感覚を入れてみたり、リアリティをグッと追求したものを試しに描くと、

子供らしくない絵 として評価が落ち、銀賞になってしまうこともたまにあって

そんなときは

 

「大衆におれの絵は少し早過ぎたか...ヤレヤレ

 

などと一億総白痴化と衆愚政治を憂いていました(当時小2)

 

 

 

実力は校内にとどまらず札幌市主催の小学生絵画コンクールでも低学年で唯一の表彰台(銅賞だけどね

そのときはおれのお兄ちゃんが金賞だったので「兄弟受賞」ということで

北海道新聞社会面におれら兄弟の記事がのったりして。

 

 

自慢をまだまだ続けたいとこですが(テンション上がってきた)

まーとにかく

図工や美術の時間にはおれの机の周りにいつも人が群がってきてチヤホヤされて王様気分。

学芸会の舞台美術や学園祭のポスター、文集のデザインなど

学校・学年のいわゆる美術関係はいっさいおれがすべて取り仕切る。

おれの画力を発動さえすれば、上級生だって先生だって簡単に吹っ飛ばすぜ!!

 

 

 

 

...と、

そんな誇り高いおれなのにたかが一介の講師くんだりの誘いに、

なぜひるんだのか?

 

 

 

 

それはですね、

ちょうどその時、石膏デッサン部屋で高校のクラスメイトのI君

黙々とデッサンしてる後ろ姿を見つけてしまったのです....。

 

 

 

 

 

 

忘れもしません、高校に入ってはじめての美術の授業の時、

たしか油絵の授業だったんだけど、いつものようにおれが

「ウン!今回も完璧な作品だな!」

と自作に滑らかに筆を進めていたとき、

美術室の向こう側で人だかりが。

当然人だかりはおれの周りに発生すべきなのであって

おいおいみんな何をトチ狂っているんだい?おれはここだよ?

と、

そっちの方に行ってみると人だかりの中心はI君の席

彼は周囲の好奇の目にも、我関せずとばかりに黙々と自作に筆を入れている。

その絵に、おれは一瞬

 

「あっ...」

 

と言ったきり動けなくなりましたよ。

一言でいうと

 

 

 

おれの絵は「絵」

I君の絵は「アート」

 

 

 

だったんです。

物心つく前から毎日あたりまえのように描いてきた絵。

でも、絵って、こんな描き方もできるんだ、こんな可能性があるんだ...、てかこんな世界があったんだ....。

と、おれの人生初、目からウロコがポトリと落ちたんです。

おれの地位と名声を脅かすはじめての存在。。。。それがI君だったのですが

そこはお互いボンクラ高校生同士、彼とはけっきょくすごく仲良くなって、

イケてる現代アートや、いま読むべき本、前衛的なマンガ、

思想・ファッション・音楽・サブカルチャーなどなど....

刺激的な情報をいっぱいおしえてもらって、おれも負けじとそれをぐいぐい吸収して

彼との出会いをきっかけにおれの「絵」も変わっていったんです。

 

 

 

 

 

 

話を美術研究所のその日にもどすと、

かのI君がその美術研究所にすでに高1のときから通っていており、

すでに美大受験一本で進路を決め、受験対策をコツコツしていたのはおれも知ってて

進路が決まってないおれに、

「啓君も来たら?」

なんて誘われてたりもしたんですよね。

 

が、

一方は美大受験の準備を3年前からずーっとやってた人間。

後ろからそーっと覗いてみるに、

彼のデッサンはもうすでに美大合格レベルにまで仕上がってるように見えたわけです。

一方こっちはいまんとこデッサンなんて一枚も描いたことないし、

しかも高3の秋にもなって進路決めに焦って「美大でも受けてみよっかな?」

とライトな気分でノコノコ顔出しにきたわけで...。

実力差は泣きたくなるレベルにまで広がっていたのですよ。

やっぱ、ホラ、

I君は親友とはいえ絵に関してはライバル。

たとえ「デッサン初心者」というハンデがあったところで

いや、どんな理由があれどこのおれが“絵をうまく描けない”ということは屈辱であり

そんななことが彼にバレたら、死ぬほど恥ずかしいじゃないですかあ!?

 

 

というわけで

講師の 「じゃ、ちょっと試しにデッサンでもしていく?」 という誘いに

ちい〜さい声ではい、と返事しながら

石膏木炭デッサン室のI君にみつからないように

こ〜〜〜っそり静物鉛筆デッサン室に逃げ入って

人生初となるドヘタクソなデッサンに取り組んだおれなのでありました。

 

 

 

後日、

よし、いっちょこの美術研究所に通って美大受験を目指すとしよう!

とハリキッて正式に入学手続きに行ったとき、講師にレクされたのは

ひとくちに美大受験といって、学科ごとに必須受験科目がそれぞれ決められており、

 

石膏木炭デッサン油画科受験の必須科

 

静物鉛筆デッサングラフィックデザイン科受験の必須科目

 

とのこと。

 

そして翌年、

I君は晴れて武蔵野美術大学油画科に合格、

おれは同大学視覚伝達デザイン科に合格したわけであります。

(武蔵美現役合格は北海道でおれら2人だけ)

 

 

 

そう、

あの遠い少年の日、どうゆう理由であれ静物鉛筆デッサンを選んだあの瞬間こそが

そのあと長く長く続くおれのグラフィックデザイン人生がまさにスタートした瞬間であったわけなのです。

 

※当然I君には同じ研究所通ってることがすぐバレて(あたりまえだ)、覚悟決めてデッサンみてもらいました。

彼は優しいから批判めいたこと何も言わなかったけど。顔から火が出るほど恥ずかしかったなあー。

ま、一ヶ月後には鉛筆デッサンなんぞ研究所内でもトップクラスにうまくなっちゃってたけどね ケケッ

 

 

 

 

 

 

....あれ、

今日は全然違う話(今回のタイトルはThe 広告だからね)を用意してて

さっきまでのは前フリでちょっと触れるだけの話題だったはずなのに....。

自慢のタガを解放したら気持ちよくなってきてテンションがヘンな風に上がってしまい

自慢を止めないで、

否、愛を止めないで 的多幸トランス状態に陥ってました。。。

なので

今回はあくまで前フリということで本題は次回次回!

 

 

 

 

 

トップをねらえ!〜Fly High〜 / 日高のり子 佐久間レイ

庵野秀明初監督作「トップをねらえ!」のこれは挿入歌。あえての王道合体シークエンスでテンションMAX、作画も完璧!