The 広告#2

 

 

ワッツア!

 

 

前回までのあらすじ:

 

札幌在住の小さくてかわいい少年 啓ちゃん

おえかきががっこうでいちばんじょうずな子。

神童かつ 破格の自慢しい と、ご近所でもっぱら評判。

すくすく育った啓ちゃんはいろいろあって

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン科にめでたく現役合格。

....したまではよかったが...。

 

 

 

 

ということで前回に引き続きThe 広告後編。

いやー、とにかくクソ忙しくって忙しくって。

なんと前編から1ヶ月以上も間が空きましたがやっと本題です!

 

 

が、その前に...

ついでに前編の後日談をすると、

すごい倍率(25倍。現役合格はさらにその1割)の中せっかく入学した武蔵美でしたが、

けっきょく最初の1ヶ月くらいしか学校に通わず、あっさり中退することに。

中退の理由はとにかくいっぱいありすぎてナニがアレなんですけど

あえてひとことにまとめるなら、

 

「旧態依然の美大アカデミズムにおれのセンスは少し早過ぎたかナ....」

(あれ?前編でも書いたような....)

 

というわけで、

選ばれしアート・エリートからあっさり労働者階級に没落してしまいました。エヘへ。

 

 

聞け万国の労働者(メーデー歌)

すっげえ歌詞...、汝の部署を放棄せよ、って...

 

 

 

それからは、

おすし屋さん(おかげでおれ鮨握れるんです)やトラック運転手やりながら、

バイト先の先輩や不良の友達と夜な夜な渋谷・新宿・六本木で遊んでオトナ気分。

HIPHOP、女のコ、クラブにレコード屋、イカしたクルマ、洒落た食べ物屋、レアスニーカーにビンテージ古着。

まさにレイト80's真っ只中のトーキョー・シティ。

こちとらカネもないのにとにかく夢中になるものがいっぱいありすぎて、

国分寺のそのまた奥の奥の大学に通ってたらぜんぜん知らなかったであろうあれこれが

すごく新鮮で楽しくて、目の前の世界がパッと開けた気がしてたんです。

 

Public Enemy No.1 / Public Enemy

レイト80's、1987年の最恐のShit!

知ってる?このころPARCOとかファッションビルじゃBGMにRAPかけられなかったんだぜ。

 

 

 

 

デザインやアートなんてすっかり忘れてたそんな日々の中、

突然転がり込んできた東京電力のデザイン仕事。

これを持てる力ぜんぶ出してやりきったことがきっかけで、

なにより広告代理店やクライアント、版下屋さんや写植屋さんなど現場の方々全員含め

仕事のプロである様々な魅力的なオトナ達と出会えて、彼ら彼女らと対等な立場で

自分の得意なことを正々堂々と全力で出せることが面白くって面白くって、

(よくおれみたいなド素人にあんな大きな仕事をまかせたな、といまでも思う)

ただ楽しいだけのバイト生活がどーも物足りなくなってきてしまいました。

 

 

大学やめてから3年くらい遠回りしちゃったけど

あらためて

やっぱ本格的にグラフィックデザインやってみようかな?

と思い直し、

当時超売れっ子のグラフィックデザイナーOさんの事務所に

僕を入れてください!!

と、おしかけてみたんですけど

 

「この作品じゃまだまだダメだナ〜」

 

と優しくもキッパリ拒絶され(今思えばあたりまえ)

じゃあ他を探すわい!、おれだってがんばればYMOのレコジャケぐらい超えれるんじゃ!

奥村靫正さんって特定しちゃってるじゃねえか↑)

と、この時点でやっとこさ奮起。

最初の足がかり作れるんならまずはどこでもいいやと

入社した大きなデザイン・プロダクションは1年も経たずにバブル崩壊(1991年ね。)とともにあっけなく倒産。

 

 

そこでコマフォトの求人欄をせっせと探して目立った会社2件にアプローチ。

①メジャークライアントのビッグ・バジェット広告を業種問わず幅広く手がけてるデザイン・プロダクションと

②超クールでイケてるグラフィックデザインがウリのSセンセイの個人事務所

この2社とも最終選考の2名にまで残ったんです。

 

 

採用はある意味「早いもの勝ち」で、(たぶん最終選考に残ったもう1人も同じ人だったんだと思う)

2社とも返事を急かされてたんだけど、おれはここで腕を組みじっくり考えた。

 

 

Sセンセイの個人事務所の方のクライアントは

SONYやSUNTORYのほか、PARCO、VIVREなどのファッション系も。

あとちょうど新しい雑誌を立ち上げてたころ(今のCUT、です)。

仕事もスタッフも少数先鋭!という感じがみなぎっていて

とにかくデザインがクールでファッショナブルで超先端いってる。

ですが、

事務所じたい小所帯なのもあり、あたりまえですがSさんのデザインの美学というか影響力が

ここを完全支配してるのは間違いない。

ここで働いたらおれは清水正巳さん(←また言っちゃってるじゃねえか)のエピゴーネンというか

劣化コピーになってしまうんじゃないか?とおれは怖れた。

(清水さん自身は全然独裁者チックでなくとっても気さくないい人でした。でも当時のおれ的にはやっぱちょっぴり怖かったかも)

 

 

 

一方、メジャー広告を多く手がけるもう一方の事務所。

クライアントはNTT、NTTデータ、JT、KIRIN、日清食品、三菱電気、三菱自動車、東洋水産(マルちゃん)などなど。

デザインの先鋭さはSさんのとこに比べてぐっと穏やかだけど

いわゆるタレント広告を多く手がけてるのもド素人のおれとしてはポイント高かったし、

カップめんや缶コーヒーやビール、電話に冷蔵庫にコンピュータにオーディオにビデオカメラ、

はてはスナック菓子におクスリやダイエット食品など、

完全庶民派、というか、これぞThat's広告というか。

 

老若男女誰もがみんな知ってるキャンペーンを、業種問わずさまざまなアプローチで

何から何までとにかく幅ひろーーくやってるので、

ここならなんの色もつけられずに自分のスタイルをイチから作れるかな、と決断。

 

Sさん事務所には丁重にお断りの電話を入れ、

こちらの会社でいよいよ本格的に広告デザイナーとしてキャリアをスタートするわけです!

 

さあ、いよいよ本題です!

 

 

 

 

...はー...。

ボク長文書いたら疲れちゃった。

仕事やっとあらかた片付けたのに

なんでこんな文章書いてまた疲れなきゃならんのかボクわかんないよ。

次回にしていい?

 

 

The 広告 〜次回につづく〜