不都合な真実
ワッツア!
本日のブログを読む前に
まずこのおれ(BDAP名義)の作品↓を目に焼き付けておいてください
LIKE A ROLLING STONE (BDAP作 2012)
さて
先月からドタバタしてた新刊のデザイン、
色校も終わって書店にならぶのを待つのみー
この新刊は英語の実用書で、リスニング力を高めるためにはまず発音力を高めよう!という内容。
ゆえにこのクチビル・ビジュアルなわけ。
(最初の作品はこのクチビルのパーツを使って、アートに仕上げたってわけ)
われながらお気に入りで、よしよしなかなか可愛くできたぞ、と思っていたんです。
で、本日の午後。
事務所でゆっくりコーヒーをすすってたらいきなり
「殿下!たいへんです!」
とカメラマンアッキーが駆け込んできた。
なんでも六本木通りを溜池に向かってクルマで走行中、
おれにとって大変不都合なモノを見つけてしまったんだとか。
どれ、写真見せて?
撮影:古谷昭洋
うわっ!!
「殿下!勢い余ってついにパクったんすか!?」
ええっ!でも似てるっ!!
もちろんこのフラッグのデザイン、おれのじゃないんです。
この「キッチンれん」をググってみてもふつうの小体なゴハン屋さんぽくて
こうゆうキャンペーンを打つ規模の会社には思えない。
てことは六本木の商工会かなんかの地域振興キャンペーンなのか?
このフラッグのデザインなりディレクションなりをした方の名誉のためにも言っておくけど
掲示のタイミングを逆算してもどちらかがどうにかしてパクったとは思えない...
おそらくは、偶然のバッティング。だと思う。...たぶん。
+
という前フリのもと、
話はちょっと飛ぶけど。おれが個人的に---最近とくに---思ってることは
どんなクリエイティブだってそうだと思うんだけど
先人の優れた作品を前に、パクリを恐れて手を縮こませてしまうあまり何も作れなくなってしまったり、
「オリジナル」という名の、実は狭苦しい部屋に逃げ閉じこもってしまうのは
違うんじゃないかなーと思ってる。
パクり元に新たなリアルを与える「サンプリング的」パクリ、
先人の遺業をフレッシュな目線で讃える「オマージュ的」パクリは、
デザインの長い文脈の中において、正しいし意味があると思うんです。
たとえば↑タランティーノ映画なんかは前者、
↑ブルーノート等往年のジャズレーベルのレコジャケ感を大胆に取り入れた
最盛期のコンテムポラリープロダクションズの一連のCDジャケットなんかは後者かね。
この2つのスタイルに限ってゆうと
パクリと知りつつそれらをぬけぬけとやりぬく制作者のガッツと勇気としたたかさは
まさに知能犯。敬服に値すると思う。
でも表面的な“スタイル”だけをそのまんまパクって、
「なになに風」「だれそれっぽいでしょ」に仕上げる行為は、
底が浅くてアタマの悪い、そして許されない盗作行為だよね。
この類のパクリをけっこう頻繁にしてた人気女性AD(故人)もいたけど....。
これらは単なるエピゴーネン(模倣)であって、クリエイティブの歴史の1頁にはなりえない!
と思ったりするんだよな。
+
とまあ思わずパクリ論まで語ってしまった本日。
マッキー氏と松本零士氏の「歌詞をパクった・パクってない」問題も記憶に新しいけど
(あれも微妙な感じの論争だったね)
偶然とはいえ自分がつくったものと似てるものがあるのは、どうも複雑=正直なんだか不愉快ではあるのは確か。
だけどもあえて言い切ってしまおう、
クリエイティブとは正しいパクリの連続でもあると!
では最後にもう一度問題の2作品を
似てる.....?
当事者のおれは判断できないが....
偶然の範囲内....?