いつか、きっと....

 

YO! ワッツア!

 

想定外の負傷のすえ、伊勢からトンボ帰り。

はかなくもアッサリ終わりを遂げたおれの冬休みでしたが、

結局先週いっぱいは

「お休みったらお休みじゃい!」

と、仕事も一切せずメールも一切見ず、の久々にダラダラした一週間でした。(あー退屈だった)

 

ということで今週から戦闘開始!

松葉づえを駆使してひょこひょこデザイン活動中、

おれが斉藤啓 別名BDAP!

 

☆今日の患部報告☆の時間です!

だいぶ腫れもおさまってきましたが内出血がこんな感じ。

 こちらは患部の反対側のくるぶし。(患部を回せないためこっち側しか撮れない)

まさにゾンビっぽくなってます。

あの撮影はまさか何かの予兆だったのか...。

 

そんな話はおいといて(=おれは無神論者です)

外に出るときは、松葉づえ2本でえっちらおっちら歩いてるんですが、

いやあ日常生活ってものがこうも一大事だとは!

歩いて5分の整体に通うところが余裕で15分かかり。しかも汗だく。

スーパーでカートを引いて買い出しなんて、とてもじゃないけど一人じゃできない。

レンタルDVDを借りにいくのも大仕事。

歩いてお店まで行くのが大変なんじゃなく(いや大変なんだけど)

松葉杖をつきながら棚からDVDを取ったり、返してたり、

何本もDVDを持って店内をそぞろ歩くという

超普通のことが本当に脂汗が出るほど大変なものなんです。

 

こうなって初めてバリアフリーのありがたさとか、

歩道脇の小さな公園に何気なく置いてあるベンチのありがたさがわかりました。。

なにより、ドアを開けてくれたり、エレベータ待っててくれたり

「大丈夫ですか?」「手伝いましょうか?」と声をかけてくれたり

市井の人たちってホント親切なのなーってもの身にしみてわかりました。

 

さすがのおれも45年もひねくれてるのはもう止めて

「絆」「つながり」を大事に、心清らかに生き、

都知事選では宇都宮たかし候補に清き一票を....

....入れるわけねーだろコラ!

 

 

ま、とにもかくにも

市井の方々のご親切はほんとにありがたく頂戴いたしました。

感謝の気持ちを大前提に踏まえ、ちょっと感じたことを二、三。

 

銀行振込のためATMに並んでたら、前にいる人に「お先にどうぞ」と譲られたんだけど

その譲り方って何かヘンじゃない?って何か釈然としない気持ちになって...。

せっかくのお申し出だけど丁重にお断りしたら、今度は先方が何か釈然としない顔になってた...。

 

それとは別に、

歩道歩いてるとみんなサッと道を開けてくれるんで

こっちは逆に堂々と「そこどけ、殿下のお通りだ!」とばかり道の真ん中ふんぞり返って歩いてて

どかない人がいると「なんだテメエ、おれ足悪いんだけど?」ってキレそうな自分に

ハッと気づいたりとか....。

 

何が言いたいかというと、

 

障害を持たない側の「善意」の奥には

障害を持つ人を“弱者”として実はバカにしたり見下したりてはいやしないか?ということ。

障害者に親切にすることがある意味「ひとときの快楽」になってはいないか?

障害者は決して健常者をハッピーにする道具じゃない。

 

それとは逆に

障害を持つ側が、その障害ゆえ“強者”になったような錯覚を持ってはいやしないか?ということ。

(最大の弱者こそが最高の強者になりうる。家庭内で例えると「赤ちゃん」)

どんな瞬間でも健常者は道を譲ったりエレベータを開けて待っててくれるべき、

それをやらない人はひとでなしであり差別主義者である、

というように、障害を水戸黄門の印籠代わりに使ってはいやしないか?

 

 

この、常に反転しながらも決して交わり合わない弱者と強者」の2つの思考の関係は、

障害を持つ側と持たない側という話を飛び超え、

たとえば「働く者と働かざる者」というふうにも置き換えると生活保護受給者の問題や、ニートの問題を思い起こさせる。

「支配する者と支配される者」に置き換えるとアイヌや琉球などの少数民族と、内地の日本人との関係もそうだろうし、

在日韓国朝鮮人や、同和。

パレスチナとイスラエル、中国とチベット、白人と黒人、アメリカと日本.....

 

単にこれ、

靱帯切ってちょっとの間松葉づえをついて歩いてるおれのミクロな話が

地球上の国家間、人種間の問題にまでつながってゆくとてつもなくマクロな話なのかもしれん...。

 

 

ゴツン!

 

あ、

松葉ヅエをつきつき物思いにふけって歩いてたら

開いてたドアに激突しちゃった......(オデコから流血しました☆)

 ああ、もうっ!早く足よ治れ!

 

弱者と強者」。おそらく永遠に融合しあえないのだとしても

思考停止することなく常にそれを考え、

自分自身の偽善や欺瞞や驕りや見くびりをおそれ、

希望や理想や信念を持って正しいと思ったことを堂々と行動すること。

それしかないね。

立場や意見の違いがあったとして、その人の立場は立場で尊重しつつ

自分の立場からガチで真摯に真剣にそれと闘うこと。

それでいいじゃん。

 

いつか、きっと全員が理解しあえる日が来るさ!

そんな日が来なくても、それはそれで面白いし!