輝け三宿映画祭(2011上半期)ワースト1発表!
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ワッツア!
マジいそがしいんだよコノヤロー!
18案件あった仕事がやっと11案件までかたづいたぜ、っていう忙し自慢はどうYO?!。やっとブログ書く余裕もできて、とりあえず来週もバンバン印刷所にブランニューシットを放り込んでくぜ!
さぁ〜て長らくお待たせ。てか、まだやってたの?と言われるほどにダラダラ展開してた三宿映画祭2011上半期の発表です。
軽い気持ちでランキングを始めたんですが映画の感想を語るのって思いのほか大変。そもそも下半期・上半期に分けたおれがバカだった、年1で十分だったわ。超めんどくせえ。
と言いつついよいよワースト1!
食堂かたつむり(富永まい 2010/日本映画)
概略:失恋のショックで言葉を失った女性が、山奥にレストランを開店して村の人々を料理で癒す物語
本作さ、designchannelブログ時代に盛大にDISったんでもうやる気がわかないんだ...。とりあえず以下、そのときのブログを読んでみてくれろ
+
まず何がどうしてこうなるの?、の意味が最初から最後までまったくわかんねえ。
料理映画好きなおれとしては、そのジャンルとしてもダメ。調理シーンはママゴトレベルだし、料理じたいもケン◯ローの「カフェメシ」レベル。いや、カフェメシだからダメってなわけじゃなくて(カフェの料理を美味しいって思ったことは正直ないけど)、「美味しさ」を語ってる(風)な話なのに、「美味しさ」の理由や本質から思いっきり逃げてるってことが致命的にダメなわけ。
人は生あるものを殺してそれを食べなきゃ生きていけない、じゃあ、どう食べるか。って食の本質がそっくり抜けてるし。(すべての料理映画がその本質に迫れとは言わない。でもこの映画が、ペットの豚を殺して食べるとかハトの死骸を拾って食べるとか...、それ風なことを完全にノープランでやってらっしゃるから...。それって意味がぜんぜん違うだろ)
なにより“料理屋さん”映画にもかかわらず、「お客さんに食事を食べさせる職業」って料理屋さんの本質・存在理由にも一切触れる気がない。
都合悪いとこは全部ファンタジーだかスピリチュアルだかで誤摩化そうとする。クソめが!
「シェフとギャルソン、リストランテの夜」の命がけの料理シーンを見よ!あれらのシーン群には料理屋さんサイドの人々の人生すべてがこもっとるぞ!
世の中にのさばる、薄っぺらで自分勝手な「善意?」とか「人とのつながり?」とか「スピリチュアルとやら?」が延々2時間(長っ)続く。癒されるどころかマジ拷問です。登場人物全員を基地外と仮定したらすべてが腑に落ちるという、ある意味スゴい映画ではある。
エンドクレジットの歌がまた唐突なんだ...
本作がマジでクソである意味をより理解するため、前述の「シェフとギャルソン、リストランテの夜」を比較して観ることを推奨したします!!!
+
いやー怒ってるなぁ。おれ
ともあれ本作、映画のクオリティ的には前述のワースト2位、3位よりはまとも。
でもね、「おフロでGO!!!〜」や「東京島」におれが感じた怒りの核って、出来が不細工すぎてストーリーテリングが破綻しているゆえまともに観れない映画。お金払ってそれを観させられることへの怒り。つまり映画表現として一定のクオリティに足るものではない、ってことに対する怒り。一言で言うと
「へたくそ!」ってこと。
だけど、本作「食堂かたつむり」への怒りの質はグっと異なり、
「癒し」とか「スピリチュアル」とやらのお題目をかかげて垂れ流す不快で悪質で無責任きわまりないメッセージへの怒り、
そしてそれを100%善意だと信じて疑わない厚顔無恥な制作者たちへの殺意。です。
とにかく最初から最後まで強烈に腐臭を放つ身勝手なメッセージの洪水。一言で言うと
「カルトの勧誘映画か」ッス。
この映画の主人公がこしらえる料理を食べた人は、全員精神的に癒されて、どんな悪人でも、真人間というか善人になっちゃうんですが、その理由はまったく語られないんです。要は主人公なり彼女が作る料理なりには「完全な癒し」「絶対的な善のパワー」が宿っている、ようなんです。
ちょい踏み込んでみたいのは、本作もしくは現代日本にいつのまにか定着していた「癒し」や「スピリチュアル」という概念について。
おれは正直、かなりの気色悪さを感じるんですよね。
ざっくり「スピリチュアル」に関して、まずおれの個人的見解を示しとくね。
おれはブッダと名乗ってるとおり、精神世界や神秘主義や宗教ってものにかなり興味を持ってるし、存在として・もしくは概念としての「神」なるものは存在すると思ってる。前世とか宿命とか、それに導かれる出逢いなり業なりも、あるのかもしれないなとボンヤリ思ってる。人間の意識なりエネルギーが肉体から分離して霊的存在になることについても肯定派だし、「霊魂」とコミュニケートする能力がある人間についても、場合によっては肯定してる。ってことは、おれ「スピリチュアル」に関してけっこう肯定派であることは間違いないんですわ。
だけどここから問題なんだけど、
それを「完全な前提であり、事実」として語る態度には、おれは共感するどころか、違和感と不快感を感じるんですよ。
検証を重ねて第三者でもそれを実証・体験できるレベルに達しないと、それはやっぱり事実とは言わないのがおれたちが生きている世界のルールなんだよ。ここは絶対に壊しちゃいけない。
ましてやそれを「絶対的な善」と呼ぶことは、
「地下鉄に毒をまいて多くの人を殺すことが人類の救済であり、絶対的な善」っていう論理とどこが違うの?
こんな考えは危険だ!しかも人間として絶対に許せない考え方だ!
科学万能の世界にうんざりしてるのもわかんないじゃないけど、ものごとを科学的に見ることは大切。むしろ人間の「精神世界」や「神」についての謎をひとつひとつ解き明かしてゆくことが科学だとおもうんですよ
「目に見えないもの」を信じたり・受け入れたり・祈ること、はおれも大切にしているんだけど、どっかの誰かが提示した理想の世界像って概念を何の疑いも無く100%受け入れるってことは、ただの思考停止。世の中を完全無視して一人で勝手に癒された気になってるだけ。
「自分の心がラクになったんだから、他人はどうだっていいじゃん」って意見もあるのかもしれないけど、残念ながら人間はその場所にはずっといれないよ。
己を信じることが、他人を信じること、そして神を信じることにつながるんだと信じながら、おれは今日もダラダラ三宿で鼻ほじりながら生きています。
ご都合主義的エセスピリチュアルに毒されたオバカさんども、おれはこれからもガンガンDISってゆくんでご用心!
スピリチュアル ←wikiだけど、読んで検証してみたら?
やー、とにかく話は脱線したけど(してないけどね!)こんな感じで
「食堂かたつむり」はぶっちぎりのワースト1位!
観てみ、マジ気味わりいから!