輝け三宿映画祭(2011上半期)ベスト3発表!

輝け三宿映画祭(2011上半期)ベスト3発表!

世間はGW!里帰りしたり旅行したりして連休をエンジョイ!!

しかし、それを苦々しい目でみつめる男がこの俺、BDAPインザハーウス!ポチポチ打合せと作業が入ってて三宿にて中途半端な軟禁状態。

さてさて、ヒマ人どもおまちかね。三宿映画祭ベスト3を発表!エントリー作品のリストは前回のブログを見てちょ

第3位!ゾンビランド(アメリカ映画 / 2010公開)

おれは、ゾンビ映画の新タイトルが出ると、必ずチェックするくらい大好きな映画ジャンルなんです。でも「グロいだけで無内容・大味・悪趣味・しょせんバカB級映画」って誤解している人っていまだに多い。確かにこのジャンルは駄作も決して少なくないんだけどね。

でもね。人生は食わず嫌いほどつまんないことはないよ!ってことで、まず、何故おれはゾンビ映画を愛してやまないのか?っていう、いわば「おれのゾンビ映画論」から説明させてくれ。

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ゾンビ映画とは文字通りゾンビ:生ける死体(元はブードゥー教の概念だそうです)が存在する世界を描いた映画のこと。映画によってゾンビ、リビングデッド、アンデッド、人食い感染病など名称はさまざまながら、これらの映画もすべてゾンビ映画の範疇に含まれると考えていい。

このゾンビたちが象徴することってもちろん「死」そのもの。日常生活で我々には見えない・また見ようともしない「死」が、 文字通り大手をふって“目の前にいる”ことの恐怖。どんな人間でも逃れられない「死ぬってこと」が、霊や悪魔のような不確かな存在としてではなく、確かな 現実の物体(ゾンビ)として突如現れる。それは単に不条理な恐怖であるのと同時に、自分の末路でもある。そここそがゾンビ映画の恐怖の本質なんです。

目の前に迫る「死」に、登場人物たちはどうむかいあい、どう生きるか?

ここがどんなゾンビ映画でもストーリーの根幹となってる部分。そのストーリー進行の中で登場人物も観客も、恐怖・罪悪感・悲しみ・哀れみ・絶望・愛情・友情・歓喜・希望などの感情におそわれます。そのさまざまな感情に切実な深さを与えること、それこそが「ゾンビ映画」という特殊な舞台立てを使わないと掘り下げられない表現なんですよ!

それにプラスしてゾンビ映画ってのは現実世界が抱える問題の「比喩」として、タブーや社会批判にもガンガン切り込んでいけるジャンルのひとつでもあるんです。一部の人々の繁栄のために犠牲になった者の復讐譚として。消費社会や監視社会の批判や戒めとして。支配する者とされる者の普遍的な悲劇として。人種差別や奴隷制の是非を問うたり。銃社会や人間の暴力性を表出させてみたり。911以降の世界のカオスを象徴するものとして。などなど...

かようにゾンビの出現であぶり出されるのはやっぱり人間の恐ろしさだったりするパターンが多い。それってゾンビ映画はつねに「批評的目線」を持っているからなんです。

そこを踏まえて観ることが

ゾンビ映画の面白さなんだよ!!

ゾンビ映画なめんなよ!!!

もちろんゴアな血まみれシーンや殺戮シーンも大好物、ですがね。

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さてここでやっと本日の主題、ゾンビランドに話がもどります。※観てない人はネタバレ注意ですよ!

ストーリー概略:ほとんどの人間が謎の病原体に感染しゾンビになって破滅した世界。ボンクラ童貞青年がゾンビと戦い生き抜いてゆくさまをコメディタッチで描く。

おれは劇場には行けなくて、東日本大震災後の3/25にDVDで鑑賞しました。正直、この映画を観る絶好のタイミングだったといえます。なぜかというと、そのときの日本はまさに「ある悲惨な災害・喪失が起こったあと、人間の価値観が大きく変わった世界」。つまりゾンビ映画の世界概念そのものだったからです。

この映画に限って言えば、死者が蘇って云々というゾンビ映画の設定はエッセンスとして存在する程度で、もっとも重要なのは、既存の価値観が崩壊した世界に有無を言わせず投げ込まれた人々はどう生きるのかっていう、ある種のシミュレーションを見せてくれるんです。

主人公のコロンバス君(ジェシーアイゼンバーグ好演!)は気弱なドーテーで、正常の-ゾンビ出現以前の-世界では、誰からも相手にされなかった孤独なナード少年。彼はそこら中から襲ってくるゾンビと対抗する(もしくは逃げる)手段として編み出した彼なりの“32のルール”を守って生きています。このルールが「有酸素運動よろしくとにかく走って逃げる」とか「ゾンビのアタマは念をいれて2度撃て」とか笑っちゃうくらいしょうもない感じなんですが、そのとき日本のそこら中で起きていたスーパーでの買い占めとか、くだらないデマとかを見聞きするに、「自分なりの生きるルール」すら持ってない人のなんと多いことよ...と失笑したりしてしまいました。

で、両親が住む故郷へ帰ろうとする彼は、生き残った人たちと出逢います。サディストのようにゾンビ殺戮を楽しみ、ツゥインキーというお菓子をこよなく愛するヘンな男、タラハシーさん。気が強いがキュートな詐欺師の姉ウィチタとおませな妹リトルロック。この呉越同舟な4人がクルマに乗って旅を続けてゆくロードムービー的展開になってゆきます。それぞれの生き残りたちのキャラ立ちっぷり&ちぐはぐながらも徐々に形成されてゆくチーム感。キャラクターたちのイキイキした演技に爆笑しつつもどんどん感情移入されてゆく。この4人が愛おしくてしょうがなくなってゆくんです。

そんな展開が全編コメディタッチでバカっぽい台詞や演出で爆笑につぐ爆笑とともに進行します。が、この世界を生き抜くうえで捨ててこなければならなかったそれぞれの心の傷を共有しあうシーンは、一転して感動的。普段、他人を信用できないゆえ距離感をとるためバカやったり無慈悲になったりする行動のウラには、やっぱり人の温もりや幸福な生活を欲してるってゆうことがわかり、コメディムードだからこそこのバランスにグっときちゃいます。タラハシー氏の「こんなに泣いたのはタイタニック観て以来だ」との名台詞にも笑い泣きさせられちゃう。

彼らは徐々に固い絆で結ばれたファミリーになってゆく、と思いきや決定的な仲間割れが発生!その結果、姉妹はこの劇中もっとも危険な状況にさらされることに。西海岸の遊園地パシフィックランドを舞台に、彼らとゾンビたちとの最後の大立ち回りが始まる....

あとはDVDで観てね!

さて結局この物語、おれはこう要約しました。

既存の価値観が崩壊した世界で、

孤独な負け犬が

自分の経験と知恵、

そして大切な仲間を得ることで、

葛藤や障害を乗り越え成長し、

ついに自分の居場所を獲得する物語、なんです。

よく練られた脚本と、演者の力量、その演技のアンサンブルから生まれるマジック。

な?男ならこの映画にハートも目頭も熱くならないわけがない!

終盤、コロンバス君がボンクラながらも良心を発揮、彼がかたくなに守ってきた「生きるルール」すらも捨て、生まれてはじめて利他的で勇気ある行動を取るってところも、まーお約束とはいえ号泣しちゃいましたよ。

ちなみに主人公が恐れ、葛藤する対象はピエロ(クラウン)。ついに主人公がピエロゾンビとタイマン対決!ってシーンがありますが、あまりにあっけない決着にカクッと肩すかしを食らう人も多いのでは。でもこれは恐怖や葛藤というものが自分で考えてるよりも意外とカンタンに乗り越えられるものなんだぜ!、という制作者サイドのポジティブなメッセージとおれは受け取りましたよ。あ。あとビルマーレイももちろん最高です!

あえて言いたい、この震災後のタイミングでこの映画を観られるおれたちはラッキーだ、と。この発言が不謹慎かどうかはぜひお前らの目でチェックしとけ!