アトムの末裔

 

YO! ワッツア!

 

季節はいよいよ春。

今年に入って取り組んできた我が有限会社ブッダプロダクションズ

新規クライアント獲得キャンペーンブックつくって配り歩いきついでに喋りちらかしてるだけですが

も僅かながらも芽吹きが見られてきた様子、かな。

ここはさらにうれしい春にしたいところ。

 

↑新刊のテスト撮影〜。アッキーバックアゲイン!

 

おれの思い出の春、といえばやっぱり

売春

ではなく

おれがハタチの春。

 

大学を中退後、日がなバイトをしながら悪そなやつはだいたい友達!

とブラブラ遊んでた日々に、ふってわいたように発注されたデザインのお仕事。

そのクライアントとはあのT・EPCO!

そう、東京電力なのでした。

そしてまさに原発推進をテーマにしたイベントのお仕事だったんですよ。

日比谷公園で行なわれるブース建物とそのスペースすべてのデザインを手がけ、さらに

ブース内部に設置される大きな10枚のパネルに

原子力発電がどんだけエコでクリーンで安全でコスパがよくて....

とどのつまり「人類にとってどれだけ有益であるか」

をビジュアルやテキストをふんだんに使ってまとめあげたわけです。

 

実質1か月ほど美大のデザイン科に通っていたとはいえ

その当時のおれはただのパンピー

 

ブース&スペースはA4のコピー用紙に描いたグチャグチャな画(当時は完璧だと思って描いていた)を握りしめ美術さんに発注。

MACも無い時代なので、代理店の方々の(非常に心配そうな)アドバイスで老練な写植屋さん、版下屋さんに発注、

レンタルポジ屋さんの存在を知らなかったためビジュアル数十枚をすべてポスカラで手描き

日比谷公園での現場作業以外は代理店の会議室に泊まり込みで

10日間ほとんど寝ずに完成させた、ほんとにほんとに思い出深いおれのデザイン仕事デビュー戦。

この時はじめて「デザイン」という仕事で報酬を得たわけです。

しかも身分不相応なほどたっぷりと。

 

そんな経緯があったから言う訳じゃないんだけど

311福島原発メルトダウン以降飛び交う

原子力発電というテクノロジーそれ自体を悪魔の発明とする風潮や

東京電力という会社を、その社員すべてを、

十羽ひとからげに無能&悪徳扱いする報道や意見には

ホントに程度の低さに呆れてしまうし、ぶっちゃけ思いっきし怒りが沸いてしまう。

本当に彼らだけが悪いと思ってやがんのか?

 

その1989年、日本はすでにバブルの泡に飲み込まれつつあり

東京、いや日本全土が

さながら暴走する資本主義社会のエクストリームな実験場と化していたわけで。

原子力発電テクノロジーは時代の必然というか、時代の要請というか、

そして同時に時代の限界でもあったと思うんです。

 

広瀬隆氏の著作危険な話等に代表されるように

広瀬氏が信頼に足る論客か否かはここでは置いておく。

当時からその現実的危険性や反道徳性については

けっこう活発に論議されてたって印象はあるし、

なによりチェルノブイリ原発事故の衝撃はとてつもなく大きかった。それなのに

さながら「喉元過ぎれば熱さ忘れる」「人の噂も75日」、と

それを箱に入れてフタをして隠し

ずっと見なかったふりをしてきたのは当のおれたちじゃなかったのか?

この手のつけられない原子力テクノロジーの暴発は

おれたち日本国民全員が招いた結果なんじゃないのか?

 

しかも当のおれに限って言うと、

前述のようにそのテクノロジーの正当化に加担・喧伝する立場におり

それによって報酬を得ていたということもあり、複雑な思いを抱えているわけなのですが、

ここで自己正当化はすまい。

右、左、すべての偏見を捨てていま一度考えてほしい。

原子力テクノロジーそのものが100%邪悪なものではないんだってことを。

人々の理性と英知、積み重ねた知恵や工夫や努力、汗と涙と、限界を超えるガッツが集結した

素晴らしい何かでもあったということを。

 

なので、我がニッポン国の原子力テクノロジーの依存、そして暴発を

日本国のとか失敗とかと言うとこれまた

原子力技術そのものを100%間違った科学技術と捉えてしまい正鵠を射ておらぬ。

なのでおれはこれを日本国の「挫折」と呼びたい。

 

 

小松左京の小説(タイトルなんだっけな?)

 

不思議なことに新しいテクノロジーは世界で同時発生的に発見される

蒸気機関には蒸気機関の時があり

電気機関には電気機関の時がある

それら古いテクノロジーは一定の期間で成熟を迎えやがて

別の新しいテクノロジーにすべて置き換わって消えてゆく

 

みたいな一節(細かい言い回しは忘れたけど)があって

「エネルギーといういわば人類の活力は、むしろ人類以外の巨大な意志決定により与えられている

そんなニュアンスを文字面から読み取ったことを今ふと思い出しました。

そういや小松左京の作家デビューも原子力業界の機関誌でしたっけ

 

原子力テクノロジーはいわゆるオワコンなのだとおれは思ってます。

何か別の新しくて素晴らしいエネルギーが原子力を凌駕し、世界のネクストスタンダードになる日が近いうち来るでしょう。

その技術を手にした一部の者が、世界のマネーを支配する時代が始まる。

そしてまたその利権に烏合の衆が群がり巨大な祭りが転がり始める。

人間ってそういう「卑しくも楽観的な」本質をもった生き物なんだって、おれはあくまで肯定的に信じてるんです。

ただし新エネルギーは華やかな見た目とは裏腹に、

人類がいまだかつて考もしなかった危険や問題を伴ってのデビューになるのだとも思いますよ。

 

少なくとも自分のアタマをふりしぼって考えて、よりよい未来を選ぶこと。

時にミスをしたり、挫折したり、時に意外なドンズバ正解をチョイスすることもあるだろう。

考え続け語り続けることこそ、おれたち人間の終わらない使命であり責任である。

きれいごとだけど、これやり続けるしかないじゃん!

 

+

 

とまあ春のおとずれとともに

思いつくまま、原発について率直に書いてみました。

廃炉や廃棄物処理、そしてなにより東北の復興や被災地の人々について

一度では書き尽くせない内容ではありますが、

今後、折を見つけておれの考えを書いてみたいなと思っております。

 

あの1989年の春の夕方、

日比谷公園のイベント初日が無事終了。

東電の部長さんが握手を求めて来られ

「素晴らしい作品をありがとうございます」と深々とお辞儀され

すっかり恐縮してしまったおれが斉藤啓aka BDAP!

そこから見えたのは、会場に組んだ巨大なドームにおれがスプレー缶数十本で描いたへたくそな地球。

その光景が今も頭に残って離れない。

 

ん?あれって春だっけ?

いやあ....秋だったかも...