輝け三宿映画祭2011 ベスト2!

 

ワッツア!

 

BDAP映画語りドンスタ、思い出したようにこの企画!

遅ればせながら昨年2011の三宿映画祭第2位はこれだ!

 

スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団 

(監督:エドガー・ライト 2011公開 アメリカ映画) 

フリーター(?)でインディーズバンドのベーシストのスコット・ピルグリムは、ミステリアスな女子と恋に落ちるが、彼女とつきあうためには、7人の邪悪な元カレを倒さなければならない。 キャラ立ちまくりの元カレたちとスコットの壮絶かつ爆笑の対決がはじまる。

 

本作、カナダのコミック“スコットピルグリム VS セカイ”が原作。

監督は「ショーン・オブ・ザ・デッド」や「ホット・ファズ」で一躍名を挙げた

英国出身の陽気なオタク、エドガー・ライト。

配給がつかず日本公開が危ぶまれ、書名活動でやっと公開にこぎつけたってこととか

監督がタランティーノ邸の地下室に居候してたとか

おもしろ映画周辺エピソードはおれが書くまでもないので割愛!

 

てか

観てない人に本作の魅力をどう説明したらいいんだろか

順番を追って説明してみるね

 

●順番1

この映画を観た人々がまず語り出したくなる部分って

映画の隅々まで散りばめられた監督自身のオタク的美学のこだわり。

すなわちニンテンドーのファミコンや、アーケードゲーム、

ジャパニメーションやマンガへのあふれんばかりのオマージュが全編、

「これでもか!」

とばかりに炸裂なのです。

ここが本作の大きな魅力なのはまちがいないところ。

ですが、このオタクカルチャー&サブカルチャーの記号のみを語るだけでは

本作のホントのすばらしさを大きく見誤ることになるのでは。


●順番2

ストーリーを追ってゆくと本作は、いわゆるド定番の「ボーイ・ミーツ・ガール」もの。

すなわち男子と女子が出逢い、恋におち、

障害とか葛藤とかを乗り越えて、

結ばれるにしろ結ばれないにしろ、2人の関係がなんらかのかたちで着地する、

って、よくあるやつ。

おれらがもう何千回と観たオーソドックスすぎる展開ですね。

 

これ、観終わってからはじめてわかるんですが

映画のなかでかなり突飛なことが起こる本作にとって

安心して映画に没入できるベースになっててじつは超効果的なんです

 

 

●順番3

こうゆう

「ある限定されたカルチャーのアイコン羅列」のなかで

「ド定番ラブコメストーリー」を描く

ってやり方、これじたいはハリウッド産ラブコメ制作の正攻法といってもいい。

てことは映像表現にあたる制作者サイドにとって、

無数の映画スタイルの選択肢があったってこと。

どのスタイルでいくか...。

本作の制作者たちも、先行作品をそれなりに無視はできなかったとおれは予想するんですが。


あなたにも書ける恋愛小説

「小説家あるある」が満載(たぶん)。

小説ってこんなかんじで書かれるんだー、なんてね。

小説家と速記者のちょっとクラシカルな趣の正統派ラブコメディ。

 

ハイ・フィデリティ

レコードコレクター(音楽オタク)の痛い日常が満載

レコード屋の主人がクラブでDJしてるとき出逢った女子(いかにもな設定)との

ちょっとウディ・アレン的な、シニカルでオフビートなラブコメディ。佳作!

 

ゴースト・ワールド

ラブコメとはちょいと違うけど、全編にわたってオタク愛が炸裂。

というかオタクとパンピーのどうしようもない高い壁、のせつないお話。

オタク映画っていうジャンルイメージを、しばらくこの一作で牽引していた向きがある素晴らしい作品。

 

 

こうゆう同ジャンルの先行作たちのアプローチをふまえたうえで、

本作「スコット・ピルグリム〜」はどう映像にアプローチしたかっていうと

なんと

 

映像スタイルを本作のテーマそのもの

 

にしやがった!

そここそが本作の価値でありスゴいところなんですよ!

 

 

●順番4

具体的にはどーゆうこと?....

って思うよね。

そうなの。ここからが説明するのが難しい所なんだけど...

 

イケてない男子の日常生活=現実世界

彼の願望がゲームやマンガに置き換えられた、彼の脳内のバーチャルなウソもの世界

この2つの世界の境界が曖昧というより、完全にシームレスに混ざり合っって

どれが現実でどれが妄想がまったく判別できない、という映像スタイル。

それをスタイリッシュに構築することに見事成功してるんですよ!

 

 

 

もっと具体的に言うと、

本作は全編にわたってゲームやマンガやロックンロールの“イメージ”

すなわち、バンドのサウンドや、セリフや擬音がマンガのレタリングのように可視化します。

↑こんなかんじで

 

まずはこの映像スタイルじたいが、超フレッシュ。

 

映像スタイルって、ちょっとでもチープだったり、

スタイルのこれみよがし感が強かったりすると

とたんに制作者の自意識が鼻についてドッチラケ、

むしろ腹が立ってくるって類のもの。

 

近作ではハンナとトロン・レガシーがそれかな。とくにハンナにはホント久しぶりに辟易した。

一言でいうとね、幼女が学芸会でボーンアイデンテティ演ってるの。

で、親がそれを「スタイリッシュ」にビデオに撮ってるの。

で、その映像にこともあろうにケミカル・ブラザーズの音楽つけちゃったの....

その映像を2時間強制的にずーっと見せらるの.....

でも予告編はよかったの....

 

 

 

でも本作は、やっぱエドガーライトはわかってる!

おそらくここにものすごく金をかけたっぽく、あまりにスムースに、あまりにハイクオリティに、

芸がこまか〜〜〜〜く映像スタイルのデザイニングがなされていて、

スタイルとしての説得力はバッチリ!

 

そしてなによりこの映像世界には

やりきれない現実を、じぶんに都合のいい妄想に置き換えなければ生きていけないほどの

少年の切実でリアルな痛みが厳然と存在するんです。

だからこそ少年の切迫した“願い”や“想い”を、

「単なる妄想ね。とか

「現実逃避ね。」

なんてあざ笑うことなんて、おれには決してできない。

だって

おれも少年のときそうだったから。

お前らだってそうだろ?

 

 

前半にも書いたけど本作、相当突飛なところがある、

いや、ハッキリ言うと突飛さしかない物語かもしれない。

でもこの理由で主人公や登場人物(全員が愛すべき人たち!)に

おおいに共感し、自分の分身として応援しているため

&語り口のテンポもスピーディで効果的なため

“なんでこうなるの?”

ってツッコミを入れるスキ、

もっというとアラに気づくヒマがないんですよね

 

っておれ熱弁してるけど、何言ってるかわかった?

 

 

●順番5

あともうひとつ、いきなりなんだけど(のちにリンクするからな)

1982年にブレードランナーって映画がありまして

 

ここからしばらくブレードランナーの話をするね

 

ご覧になってることを前提に話しますが(観てない奴なんているの?)

この映画のスゴいところって2つあるじゃん。

 

1つはいままで観たこともない映像美学」

あきらかに時代のイマジネーションの限界を飛び越えた映画であることは周知の事実。

恥ずかしながらおれも当時劇場で観たあとポカ〜ンとしちゃったもの。

公開当時は興行的に不入りで大失敗。にもかかわらず、のちにポストモダン映画とよばれ評価が急上昇。

その映像世界のすべてが、そののちの美術・建築・工業デザイン・ランドスケープデザイン・音楽、その他すべてのクリエイティブに

いまだインスピレーションや影響や引用を与え続けているという

奇跡的な20世紀の最重要映画であることはまちがいない。

 

+

 

2つめはストーリーの部分。古典的ともいえる「実存的不安感」

-自分はほんとうは誰なのか?

-自分はほんとうに自分なのか?

-自分が住むこの世界は本当に存在するのか?

 

主人公が、現実には実はたしかなものが何もないことに気づき

現実なんて本当は誰かが作ったウソなのではないかと疑いだしてしまうプロット。

この「現実がゆらいでゆく感覚」が、

原作者のSF作家フィリップ・K・ディックのメインテーマであり真骨頂なんですが

 

ブレードランナーを口火に、この「実存的不安」を描く映画が急増、

もっというと実存的不安ものという映画の1ジャンルが確立したと言ってもいいんじゃないか。

ディック原作ものでいうとトータル・リコールマイノリティ・リポート

近作ではアジャストメントなど多数。

 

ディック原作もの以外でもたとえばマトリックス・シリーズ

インセプション、ダーク・シティなどのSF。

ボーン・アイデンティティ3部作、アンノウンなどのアクションもの、

エターナル・サンシャインバニラ・スカイ、ファイトクラブとかの人間ドラマ?

もそうだよね。

エターナル・サンシャイン↑。みんなが言うほどいい映画か?

 

ディック以前にもバニー・レークは行方不明とか、ヒッチコックのバルカン超特急とか

「現実が現実なのかわからなくなる主人公」を描く作品の数は枚挙にいとまない。

これほどまでにこのテーマが人をひきつけるのってどうしてなのか?

 

ここでブレードランナーの主人公デッカードの言葉を思い出してみると

 

彼は知りたかった

どこから来てどこへ行くのか

だれが自分をつくったのか

人間も同じなのだ..... だっけ?

 

「実存的不安」って言い換えれば

「自分の本当の存在理由を知りたい」、ってこと。

これは人間がけっして解りえない大きなテーマだよね。

それを知るには「自分やこの世界をつくりだした全知全能の存在」に聞かなきゃならないわけで

そこに「神」や「宗教」とゆうさらに大きく古典的なテーマが横たわっているわけだ。

 

そんなストーリーでありながらもブレードランナーは、

セリフや筋書きに多くを頼ること無く(誤解を承知であえて言うと実際の所、本作ではそこはあまり重要ではない)

スタイリッシュな映像そのもので「揺らぐ現実」や「神なき世界」を完璧なまでに表現しつくし、

そのあまりの完成度ゆえ、永きにわたって原点であり頂点として君臨。

いままでどのフォロアー映画やエピゴーネン映画も、

ブレードランナーの高い表現地点まで到達することはできなかった。

 

 

 +

 

 

さて話をもどして本作「スコットピルグリム VS 邪悪な元カレ軍団」。

ある意味ブレードランナーの2つの呪縛を乗り越えた映画だと思うんです!

それを説明するよ。

 

1.スコットピルグリム〜が乗り越えた「いままで観たこともない映像美学」

 

いままでのどの「実存的不安」映画も陥いってしまっていたブレランの罠

人間とは何か?を描くときのトーンの問題。すなわち

深刻げで意味ありげで哲学げで苦悩ありげなハードボイルドタッチ

後続作品はみんなこのトーンにハマってしまいがちだったんですよね。

 

しかし

スコットピルグリム〜 のトーンは一見しておバカな青春ラブコメにすぎない。

本作がこだわりぬいたオタク的映像美学といっても、

ブレラン的な

「誰もみたこともないデザインの美術セット」や

「誰もみたこともないデザインのガジェット」ってものの追求とは全く違う。

 

ゲームやマンガの

いつも見ているあのスタイルをサンプリングして、

映像として

今まで観たことが無いスタイルに作り替えてる。

ここが実に、実に見事なんです。

 

「擬音やセリフの可視化」とか

「激しいアクション映像がファミコン的8ビット画像にブレる」とか

「主人公と元カレの対決シーンでいきなり鉄拳画面になる」とか。

映像スタイルが、あくまで監督自身のイマジネーションやビジョンにしたがって、

ここが大事!→ これみよがしのスタイルのためのスタイルではなく

スタイルがちゃんと映画自身に従属してて、

ストーリーを語る上での必然として、スタイルが最大限に機能している。

 

本作のイマジネーションあふれる映像スタイルは

ブレランのあの都市イメージに匹敵するインパクトがあるんですよ!

誰がなんと言おうとスゴいの!!

 

わかってると思うけど本作とブレランは全く違う種類の映画ですからね!

要はピカソのキュビズムのインパクトに匹敵するものは、光琳の屏風絵だった、

みたいな話をしたいの!

 

 

 


2.スコットピルグリム〜が乗り越えた「実存的不安感」

 

これに関しても、いままで語ってきたことの重複になるけど、

 

日常生活で感じたことだけが本物で、

ゲームやマンガで得た感情はすべてウソものなのか。

 

退屈な日常の屈辱・痛み劣等感だけが本物

脳内でつくりだした願望妄想歓びはすべてがウソなのか?

 

本当にそうなのか?

 

本作は、

いや!違う!

と大きな声で言っている。

少なくともおれはそう感じました

「本当の自分とは何か?」「何がリアルなのか?」っていう古典的問いかけに、

本作は現実と妄想をひとつの画面に共存させることによって

 

「おれには世界はこう見えるんだ!」

 

って言ってるんです。

現実でもバーチャルでも、そこで自分が感じたこと。

それこそが唯一のリアルなんだ、

って、ある意味すごくポジティブに開き直って

人間肯定、人間讃歌を高らかにうたいあげているとおれは感じたんです。

 

ここが

数あまたある「実存的不安」ジャンル映画、そしてブレードランナーをも

文字通り「KO!」したところだと思うんです

しかも青春ラブコメという、まったく違う角度からのアプローチで!

 

+

 

この2つの乗り越えポイン

よく読むと文字づらは違うことを言ってるようだけど

結論はおなじところに帰結するでしょ?

すなわちそここそが

映像スタイルそれじたいがコンセプトであり、語られるテーマにもなっている

ってことの証明。

 

だからこの映画は

ムチャクチャスゴいんですってば!!!

 

 

+

 

すっげー長文になってきた...

もうちょっとだけ軽く書かせて....、

 

よくさニュース番組とか朝の番組で、コメンテータとかが

 

ゲーム世代はリアルな人の心がわからない」

リセット感覚ってゆうんですかね?」

「人生はコンティニューでけへんよ」

 

とかエラソーに話してんじゃん。

無知無学の低能どもがさ

そうゆうやつらにこの映画の1アップ獲得!からの〜ボスキャラとの対決!

を見せて燃え死にさせてやりたいよ。

一度「死」を経験しないと自尊心を手に入れられないってのもこれ真理だね...ホントよくできてるわ

 

「コンティニュー」という意味が

まったく違う意味あいをもって大空に提示されるラストシーンも号泣必至!

ラストのスコット君の選択に賛否両論あるらしいけど、

DVD特典にはアナザーエンディングもついてるんで見比べてみては。

おれはハタチそこそこ男子の心理として

この選択で正しい!と思いましたけどね!

 

+

 

ヤー、やっと終わった!

長文おつきあいありがとさん

 

あらゆる芸術に影響を与えたブレードランナーの世界観、

本作はそれを超えた、ポスト→ポストモダン映画の新たな傑作、と言い切ってしまおう!

 

スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団 

堂々のベスト2位!

ブレランのウドン屋のオヤジに言わせると

「2位で充分ですよ!

 

ブレランのように公開直後は無視されてても、好事家たちから火がつきカルト映画化、

そして誰もが認めるクラシックになってゆく〜

そんなプロセスを踏んでゆく映画になるんじゃないかなとおれは思うよ!